教育理念
伝教大師(最澄)は延暦7年(788)に比叡山を開創され、入唐帰朝後の弘仁9年(818)に『山家学生式』の学則を制定されました。厳しい精進と体験をもとにした、宗教の実践と指導的な立場にたつ人材の育成が目標です。
大師はその際に「国宝とは何者ぞ、宝とは道心なり、道心ある人を名づけて国宝となす」、「己を忘れて他を利す」人、「一隅を照らす」人、「能く行い能く言う」人を国宝となすという教育理念を樹立されています。本学園は、この大師の精神を教育の根本として、明治6年(1873)に「天台総黌」として創立いたしました。
昭和23年(1948)には、学制改革を契機に学園の門戸を開放し、宗門外の一般生徒を広く募集することとなりましたが、今日もこの理念は脈々と受け継がれています。
教育目標
「豊かな社会性と謙虚な奉仕の精神に燃える人材の育成」を指針に、誰もが個性を活かし、自分の可能性に向かって進んでいけるように導くことを教育目標としています。
また、学園生活の基本として僧侶の実践目標である「掃除」「挨拶」「学問」を学校目標とし、毎日の朝礼、清掃活動、お互いのあいさつを大切にしています。
近江(滋賀県)に生まれた最澄は、12歳で出家し、19歳のときに奈良東大寺で具足戒を授かり、国家が認める僧侶となりました。その直後、当時の仏教のあり方に疑問を持ち、人々を導く菩薩の道を極めるため、奈良を出て一人比叡山に登り、厳しい修行を始めました。そして十数年ののち、立派な知恵と実践をそなえた僧として、最澄の存在は世に知られるようになりました。
最澄は桓武天皇に、「もっと深く仏教を学ぶために唐(中国)へ行きたい」と願い出て、特別に許され804年に遣唐使とともに唐へ渡りました。たった一年間でしたが、唐で本場の天台の教えを学び、密教や禅までも勉強して多くの成果を得、日本に帰ってきました。その後の活躍もめざましく、806年には桓武天皇の許しを得て天台宗を開宗し、生涯をかけて国宝的人材の育成に尽力しました。その功績により、日本で初の大師号が与えられ、「伝教大師」と呼ばれるようになりました。